自己紹介的なもの

ヘルニアは本当に大変だったよという話

ヘルニアは本当に大変だったよという話。

 

こちらは10年前(2006年頃)の備忘録です。
すでにこの手術方法は無くなっています。
新たな手術法が広まったからです。

 

 

 

でも、家族の中には手術の跡はまだあり、
その手術を行った後、今でも苦しみは残っています。
失敗したわけではないです。
そういう手術方法しか当時なかったから、
そうせざるを得なかった。
そこで回復させなくては家庭を保てなかった。
そういう事情があったのです。

 

 

 

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幸せからの転落。まだ一週間も経っていない。

 

結婚式を行いました。
その前から腰が痛いと家族は言っていましたが、
本人も自分も単純に『腰痛だから湿布はっとく?』
その程度の認識でした。

 

 

ですが、ある朝、ベッドから起き上がれなくなったしまったのです。
理由は『腰が痛い。腰に力をいれると痛くて立てない。』
冗談ではないですが、【にくづきに要と書いて腰とはよく言ったものだ】
そう、感心するほど、ベッドから出てこれなくなっていました。
それが、結婚式から7日目のことでした。

 

 

テーブルにつくのにも、なにかしら手摺が必要となり、
壁やら家具やらに手を置いて体を支えながら歩く状態。

 

 

 

ワンフロアマンションの構造がこの時ほどありがたいと感じたことはなかったです。

 

 

近所の整形外科へ。結果はヘルニア。

 

 

個人的にはまたか・・・という感想。

 

 

実は約1年前、ヘルニアの手術をしていたのです。
そのときは3日間ぐらいの入院。
ヘルニアになった要因としては、
青年期のときに発達した筋肉が年齢と共に減少してきたことではないかということ。

 

 

まぁ、すぐに切ればいいじゃない・・・そんな単純な考えでしたが、
実は神経がでてきたところは簡単に切れる場所ではなかったのです。

 

 

背骨に出るか、内蔵に出るか。

 

よくあるヘルニア手術は背骨側に神経がぴょこっと出てしまいます。
10年前(2006年頃)で一日入院で終わる内容と言われました。
手術時間も30分程度。
飛び出ているところを切るだけだから、
手術の時に開く場所も少ないようです。
※あくまで10年前(2006年頃)に医者から言われたことです。

 

 

ただ、一部の人は、内蔵側に神経がぴょこと出てしまうことがあります。
内臓側・・・どう切開するんですかね・・・
今では、内視鏡手術が発達しましたので、大きな傷も出来なくなりました。
※3年ほど前、テレビでこのニュースを知りました。
長年保存療法を杖をつきながら続けていた方が、手術を受けていました。

 

 

まぁ・・・話の雰囲気から分かりますよね。
家族がかかったヘルニアは内臓に飛び出るタイプでした。

 




 

 

4ヶ月間治療を行いました。

 

その結果、医者からは保存療法を一度は勧められました。
アラサ―で寝たきり。
保存療法なので、いつよくなるかはわかりません。
そんな未来を提出されました。

 

 

4ヶ月間の治療の中身。

 

 

処方されるのは痛み止めロキソニンと、胃薬。
でも、毎日飲んでいるとその痛みどめも効果が薄くなるので、
どうしてもというとき以外、飲んでいなかったようです。
同じ痛みどめでボルタレンに変更したときもありますが、
やはり毎日は飲んでいませんでした。

 

 

もちろん、会社にはいけません。
一度、上司に呼ばれて行った時があります。
もちろん、コルセットをつけてです。
立ち上がり時、座る時に痛むということなので、
通勤電車に乗っても、吊皮につかまることにしていましたが・・・
どうしても立っていられなくなり、
40分の通勤距離で2回、途中下車したそうです。

 

 

治療方法はブロック注射だけ。

 

 

記憶が薄れてきていますので、
ブロック注射の名称を忘れかけています。
神経根ブロック注射、こちらを二種類受けていました。
でも、一過性のようでした。
たしか、2週間に一度の割合で注射をしていました。

 

 

そこで、なにかしら効果が出て、保存療法というステージにうつれるのかと思います。
でも、残念ながら効果を得ることはありませんでした。

 

 

ヘルニアになった家族は、食欲はあります。
足にしびれがあると話していましたが、
アキレス健側だったか、足の甲側だったか・・・忘れてしまいました。
ただ、左側を下にすると眠れる、楽だ・・・そう言っていてのは覚えています。

 

通った病院は二つ。

 

 

ひとつは近所の町医者の整形外科。
もうひとつは会社近くの大学病院。

 

 

ヘルニアになった家族が会社に向かっているところ、
体調が悪化したということで、町医者に電話。
会社近くの大学病院の紹介状を書いてもらったのです。
実は、その大学病院、町医者の出身大学で、
たまたま、整形外科部長が町医者の同期の人間だったという、
なんとも幸運な機会に恵まれたのでした。

 

 

しかし、その外科部長先生が話したのは、
『手術はしたくないんだよね』
診察から帰ってきた家族はそう言われたと泣きそうな顔で話しました。

 

 

手術をしたくない理由。

 

 

今から10年前の2006年では、まだ、内視鏡手術は内臓の手術として行われていましたが、
一般的ではなかったと思います。

 

 

記憶が曖昧になってしまっていて申し訳ないですが、
家族のヘルニアを治すにはPF法(PL法?)を行うしかないと言われました。
その方法は、
健康な背骨をわざわざ破壊し、飛び出しているヘルニア神経を切るということ。
背骨を固定するため、砕けた骨をチタンフレームのボックス二つに入れて、
背骨を固定する。

 

切開するのは腰の筋肉。

 

 

たかだか飛び出た神経ヘルニアをとるために、
健康な腰そのものを破壊する方法でした。

 

 

医者が手術を勧めない理由・・・わかりますよね。
なるべくならば、したくない。
でも、ヘルニアになった家族と自分の気持ちは、
医者の気持ちを100%理解することはできませんでした。



 

 

毎日寝ていて、何もできなくて、気が狂いそうになる。

 

 

ヘルニアになった家族はそういいました。
大学病院の整形外科部長が手術したくない。
そう言われてしまってはどうすることもできません。
自分は家族を連れてもう一度町医者のところに行きました。

 

 

『大学病院の先生が手術したくないと言っているので、○○病院の紹介状を書いてください』
ヘルニアになって4ヶ月経ちました。
出社をしていないヘルニアになった家族の健康保険代は、
会社からは引かれないので、毎月自分の給料から支払っていました。
会社に籍は残しておきました。
家族の勤務先にも迷惑をかけている気持ちもあったと思います。
永遠に続きそうなこのループから抜け出したい気持ちもありました。
自分は町医者にいいました。
セカンドオピニオンを受けたいと。

 

 

町医者はいいました。
『う・・・ん。また神経根ブロック注射から始めなくてはならないかもよ』
『・・・そうですか』
2週間ごとの神経根ブロック注射を4回、
それを2種類。
4ヶ月・・・
『あそこはヘルニア手術で有名だから、3ヶ月は待たないとならないよ』
手術までに3ヶ月・・・
『でも、治してあげたいんです。どうにかなりませんか。3ヶ月待ってでも、手術受けさせたいです。』
町医者との結論はその場では出ませんでした。
処方されるのは湿布とボルタレン。
痛いとき以外は飲まない飲み薬。
家の薬箱はロキソニンとボルタレンがどんどん貯まって行きました。

 

 

町医者が大学病院の整形外科部長に連絡してくれたようで、
ようやく手術が決まりました。

 

 

手術の理由として、
2種類の神経根ブロック注射をそれぞれ4回以上施術しても効果がない。

 

 

手術費80万円をどう支払うか。

 

 

結婚式終わった7日後、ヘルニアを発症しました。
手元には現金がありませんでした。
そして、結婚式が終わり気持ちに余裕が出てから、
掛け捨ての保険等にはいることを検討していたので、
保険に入っていませんでした。
だって・・・
こんなことになるとか想像もできなかったのですから。
インターネットで調べたのか・・・
それとも健康保険から配布される冊子で知ったのか・・・
この手術は高額医療にあてはまるのではないだろうか。
自分はそう考えました。
健康保険事務所に連絡し、相談も兼ねて提出書類を頂きに行きました。

 

 

手続をしに何回か伺い、書類を整えました。
今でいう、出産一時金と同じ仕組みだったのかと思います。
でも、それを会社を通さずに自分が動いて作業していました。
サラリーマンとしての勤務もありましたので、
正直、何を提出したのかは忘れてしまいました。
忙しすぎたからかもしれません。

 

4月末執刀。

 

 

冬から春に季節が移り、ようやく手術日を迎えました。
おかしなことに、腰を固定すれば車は運転できるようです。
それだけ車の座席の品質がよいのだろうか・・・
入院するために車を運転する家族。
助手席に座りながら本当に病気なんだろうか・・・
そんな考えもよぎりました。

 

 

手術前の検査に2日かかったでしょうか。
確か、入院して3日後に手術となりました。
昼間の手術ではありましたが、ほぼ始発で病院にむかったのを覚えています。
この手術が失敗したら、このヒトは車椅子か。
それでも上半身は動くし、パラリンピックもあるし、
何とか支えていけるだろう。
そう考えていました。

 

 

手術には8時間かかりました。
麻酔時間含めると10時間はかかっていました。
疲れてしまったので、待合室で仮眠をとっていた気がします。
麻酔が切れて意識が戻るまでいたのか・・・もう、忘れてしまいました。
ただ、8時間って、大手術なんだ・・・
それを知ったのは1年後のことでした。




1週間ベッドで固定。

 

 

わざわざ背骨を折っての手術。
骨が接合するまでベッドで固定です。
排泄に関しては全てカテーテル等。

 

 

そして、1週間動かないことで、全身の筋肉がどんどん退化していきます。
ベッドから起き上がれるようになって行ったことは、
歩くリハビリでした。
そして、手術から5週間経過したでしょうか。
梅雨前に退院し、自宅療養となりました。

 
退院後、腰が痛いと言うので周辺の筋肉をマッサージしたことがあります。
手術を行った部分の筋肉は手術前と比べ、ぺったりとまったいらになっていました。
ホチキスの跡もなまなましく、
以前のような筋肉は付くのだろうか・・・
そうぼんやり考えました。

 

 

結局、ぺったりとしたままの腰の筋肉が3年間続きました。
10年経った今でも、手術前のような状態には戻っていません。

 

 

しかし、現在は内視鏡手術になったので今はこのようなことはないと思います。
3年前、テレビで見たときは2週間ほどの入院期間だそうです。

 

体に負担がかからない手術がどんなに回復力が早いのか・・・

 

 

 

今となっては当時手術したことが正しいのか、
技術の発展を踏まえ、寝たきりで過ごさせた方がよかったのか・・・
正直わかりません。

 

 

ただ、今でも感謝することが数点あります。

 

 

執刀してくれた大学病院の整形外科部長に感謝を。

 

 

セカンドオピニオンに同意してくれた町医者に感謝を。

 

 

毎日面会時間が19時までというにも関わらず、
18時50分に行き、19時半まで病室にいても見守っていてくれた看護婦の方々に感謝を。

 

 

大変だね・・・と、理解を示してくれた同僚に感謝を。

 

 

いきなり呼び出した勤務先の他部署の部長・・・
頑張ってねと言ってくれたその言葉に感謝を。
最後に、医療の進歩に感謝します。