Contents
あのときボランティアという言葉を知った。阪神大震災から学んだこと。
自分は被災していない。
でもあのときのことは今でも鮮明に覚えている。
なぜかというと冷静だったから。
スポンサードリンク
1月17日の午前4時には起きていた。
我が家にはビデオデッキに繋がっているテレビは一台しかなかった。
それはこたつの置いてある居間。
夜間は親がテレビを占領しているので、親が寝静まったあと、午前4時頃から布団から抜け出し、居間であらかじめ録画してあったビデオをみることが日常となっていた。
このときは友人から借りたZガンダムを見ていた。
Vガンダムの話しで意気投合し、『兄貴が録画してあるビデオを貸してあげる』と言われたという顛末。
まぁ、正直、コソコソビデオをみているので、何か起きては困るのである。
親は勉強していると思って夜中に起きているのを黙認しているのだから。
5時46分。ゆらゆら揺れる横揺れがとても長い。
こたつに腰まで潜り、うつ伏せになってテレビを見上げる様に見ていたあの日。
体が揺れている感覚を味わう。
何気に天井を見上げ、照明のを消す紐が揺れているのをみて地震かと判断する。
さすがに揺れが長すぎるし、親が起きそうだと思い、ビデオを消してテレビを点けた。
地震速報のテロップが流れ、あぁ、震度3で揺れたんだ・・・
そのあと、画面が切り替わり、震源地が濃い赤丸で塗られた日本地図が出てきた。
その瞬間は忘れない。
日本って、こんなに大規模に揺れるんだ・・・
そういう事実を初めて知った1月17日だった。
テレビ報道でボランティアという言葉が頻繁に流れた。
英語の教科書に出てくるボランティアという言葉。
これがテレビニュースでたくさん流れた。
被災地に行き、何をしているのかまで、正直理解はできていなかったが、ボランティアというものはとても名誉あることなのだと尊敬のまなざしを送っていたのを覚えている。
多分、そのころは悲惨過ぎた状況に対して報道が規制されていたのだと思う。
それに比べ、東日本大震災ではリアルタイムで流れる大きな情報から、個人レベルの小さな情報までなんと多く広まったことか。
情報規制が悪いとは言わない。
阪神大震災があったからこそ、東日本大震災において生かせたこともある。
ただ、人類というものは嫌なことを歴史の中に忘却してしまうこともある。
なるべくならば、後世に伝えるべく記録と記憶を紡いでいきたいと願う。