否定と肯定は紙一重な気がする。

 

 

例えば、何か物事を教わる時、自分の考えをまずは否定される。
それは成功者だから・・・というよりも、成功した経験があるからできる技である。

 

 

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例えば、自分の考えがなく真っ白な状態から教わるとする。

 

 

それは無垢な赤子のようなもので、周りの世界を知らないから、言われたことだけ行うことができる。
そこには絶対できな信頼関係が生まれているからであり、産まれたばかりの生物が、近くで動いているものが親と思う感覚と似たものだと思う。

 

 

でも、そのあと赤子が成功例を積み重ねていくと徐々に回りを見渡して己と比較するようになる。

 

 

もっともっとと望むようになる。
恐怖を知っていたら消極的な伸びになり、恐怖よりも好奇心が強ければ、積極的な伸びになる。

 

 

自分は無垢な人間には正直なれない。

 

 

何度も騙されていたりするし、毎日何かしら棘のある言葉を聞いている気がする。
言う本人はそこに悪意を含めているのかと善意を含めているのかわからないが、自分は言葉の裏も軽く考えてしまう。

 

 

思考的に疑り深い老人に近い。

 

 

だから、すぐにはアフェリでは成功しないだろう。
成功しようと努力しても無理なのだと思う。
いつかは引き際も必要なのかもしれないが、まだ、その引き際がどこにするのかも決められていないので、記事を書き続ける予定だけどね。