子供と日常のあれこれ

さらっとブログを更新しようとしたが・・・色んなことを考える。直すことは美学なのか?

8月6日は原爆の日です。何か胸に去来するものがありますか。

 

自分は良い意味でも悪い意味でも考えてしまい、ちょっとだけため息をついてしまいます。
戦争の歴史を多角的な視点で眺めれば眺めるほど・・・結論って出てこないんですよね。
ミクロな感覚からマクロな感覚まで・・・

 

とてもデリケートな問題のひとつである戦争問題。
原爆の日ということで、うわべだけですが考えてみたいところですが、重々しくなるのでちょっとやめておきますね。

 

自分の中では余分なことをしていると思ってしまう大人の勝手な思いやりについて考えてみましょう。

 

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壊れたものを直すことは美徳なのか?私はそうは思わない。

 

先日子供のおもちゃが壊れまして・・・
とは言っても、ファミレスの食事の景品で購入した刀なのですが・・・
まぁ、手に入れた翌日には壊れてしまったんですね。

 

その場で直そうかとも思ったのですが、本人は壊れたものを工夫して使っていました。
壊れた刀部分だけさやに入れて振って、出てこないよと言ってみたり、さやつば部分をとって分解してみたり・・・

 

子供のながらの発想ですね。
工夫して遊ぶことが出来ると思って、そのまま放置しておいたのですが・・・

 

祖母、何も言わずに直す。嫌な顔しているのにも関わらず。

 

子供本人が直してほしいと訴えるのならば直すべきですが・・・
直してほしいといわないのに直すのは個人的にはどうなんだか・・・

 

それも、直している姿を子供にはみせず・・・なんですよね。
これは昭和時代の美徳なんですかね。

 

刀の掴部分を分解して、割れてしまった刀の一部分に穴を空ければ直せると言い出し・・・
壊れたことすら悲しんでいない子供に対してそこまでやる必要があるのか?
母親としての私は『接着剤でつければ』と、今は修理しない姿勢。
でも、暇なのか・・・結局布テープを巻き付けて汚く直す。

 

これをこれからどうすればいい?この布テープははがすべきか?

 

個人的には直すなら子供と共に一緒に作業するべきこと。
理由は、次回自分で直すことができるようになるから。
一緒に行うことで、どの道具を使うべきか、どこが直すときの注意点なのかわかるのだ。

 

しかし、子供に見せないまま直してしまうと何を使って、何がポイントなのかがわからなくなる。
そして、自分もよくやられたことなのだが、忙しくなった時に直してほしいというと、『自分で直しなさい』と言い出す。
教えてもらっていないのにも関わらず、自分で直せって・・・
だったら、余計なことはしないでほしいと思ってしまう。

 

子供の存在に乗じて一緒におもちゃを購入することは結構なことだと思う。しかし、大人は大人で自分の物を購入するべき。

 

よく、子供のおもちゃを組み立てて楽しくなってしまうという症状を起こしてしまう大人もいます。
自分のその種類の人間に近いです。
それならば、子供と一緒のものを買って遊ぶべきですね。

 

子供というのは発想が豊かです。
そして大人の行動をよく見ていて、口癖含めすべて覚えようとします。
その力が将来への成長を促しているように感じます。

 

柔軟性の高い子供に育てていきたい。それが目標のひとつ。

 

子供に柔軟性が高いことを望むならば、自分も子供以上に柔軟性を高めないと自分の意見を押し付けるだけの親になってしまうような感じがします。
子供以上に色々興味を持ち、楽しむことが親にも必要なステップだと考えています。